デヴィッド・クロスビーは、バーズのメンバーでしたが、メンバーとの軋轢やアルバム「名うてのバード兄弟」製作中、クロスビーの曲「Triad」のアルバム収録をメンバーから反対されたこと、さらに外部ライターのゴフィン=キングの曲「ゴーイン・バック」を採用したことなどからグループを脱退することになりました。
アルバム「名うてのバード兄弟」のジャケット写真からは、急遽クロスビーの顔写真が消去されることになりました。
近年のリマスターによる再発売のCDで、「Triad」のバーズバージョンも改めて聞くことができます。
スティーブン・スティルスが在籍していたバッファロー・スプリング・フィールドは、スティーヴン・スティルスとニール・ヤングの対立が絶えず、1968年5月に解散しました。
グラハム・ナッシュは、イギリスのグループ、ホリーズに在籍していて、1968年には来日し、日本のテレビ番組にもゲスト出演しました。
アメリカに来ていたとき、クロスビー、スティルスと邂逅します。
ジョニ・ミッチェルの自宅で意気投合し、グラハム・ナッシュはいったんイギリスに帰国して正式にホリーズを脱退し、またアメリカに戻り、クロスビースティルス&ナッシュが結成されることになりました。
一説では、3人が集まったのはキャス・エリオットの自宅とも言われていますが、これはメンバーによって証言が食い違い、記憶が曖昧なようです。
レコーディングには、3人以外に、これ以降もスティーブン・スティルスと共に活動することが多くなるセッション・ドラマー、ダラス・テイラーが加わっています。
また、キャス・エリオットがバック・ボーカルで、また、セッション・ドラマーのジム・ゴードンも1曲で参加していたそうです。
ウィキペディアの解説によれば、ウェスト・ハリウッドのサンタ・パーム・カー・ウォッシュを隔てた815パーム・アヴェニューにある廃屋を見つけたとき、グループの3人は自分達のイメージにピッタリと考え、家の前のソファに座りジャケット用の写真を撮ったそうです。
カメラマンはメンバーの友人のヘンリー・ディルツ。
ジャケットの内側の見開きの写真はカリフォルニア州のビッグ・ベアで撮影されたそうです。
裏のジャケットには窓越しにドラムのダラス・テイラーが写っていますが、これはあとからはめ込んだものだそうです。
グループ結成の際、グループ名も持たず、特にリーダーも決めない形でやっていくことにしたのは、デビッド・クロスビーの意向だったのか、3人共通の志向だったのかはよくわかりません。
名前の順列として、最年長だったのはクロスビーだったので、クロスビーが1番目ですが、年の順なら、2番目はナッシュということになります。
しかし、ナッシュはイギリス人だったためか、一番最後に名前が来ています。
ナッシュは、これが不満だったかどうかもよくわかりません。
アルバムのレコーディングではスティルスが中心のようで、スティルスはベース、オルガン、リードのすべてのギターパートと、アコースティックギターを自分の曲で演奏しています。
クロスビーとナッシュはそれぞれ自分の曲でギターを弾いています。
アルバムは、ビルボード・トップ ポップ アルバムチャートで6位に達しましたが、やはり、このアルバムが、CSNYすべてを含めて最高のアルバムと言ってよいでしょう。
何より、オープニングの「組曲 青い目のジュディ」が圧巻で、まさに、これがCSN、と言った感じです。
スティーブン・スティルスの専売特許ともいえる独特のDチューニングのギターも実にかっこよく決まっています。
クロスビーの「グヴィニヴィア」、映画「いちご白書」「ウッドストック」でも使われた「ロング・タイム・ゴーン」、ナッシュの「マラケッシュ行き急行」「島の女」も、それぞれの音楽性がよく伝わってくる曲です。