スティーブン・スティルスは、自分のグループ、マナサスは2枚のアルバムを発表した後解散となり、またソロとして活動することになります。
1975年6月、スティーブン・スティルス ソロアルバム「スティルス」発表

1975年12月 スティーブンスティルス ライブアルバム「スティルス ライブ」発表

1976年3月 スティーブン・スティルス「イリーガル・スティルス」発表

このように、コンスタントにアルバムを出しています。
ライブアルバム「スティルス ライブ」は、A面、B面と区別せず、アコースティックサイド、エレクトリックサイドの2面で構成するというユニークなアルバムとなっています。
ただし、以前と比べればややサウンド作りに精彩がなく、ギター・プレイも、特に彼独自のオープン・チューニングのギターの冴えわたるフレーズが聞かれなくなってしまったようです。
1975年 クロスビー&ナッシュ「ウインド・オン・ザ・ウォーター」発表

1976年 クロスビー&ナッシュ「ホイッスリン・ダウン・ザ・ワイアー」発表

クロスビーとナッシュも精力的に音楽活動を展開するようになり、1975年には初来日を果たしています。
1977年 クロスビー&ナッシュ ライブアルバム「クロスビー&ナッシュ ライブ」発表

1975年7月には、スティルスのステージでヤングがジョイントしたことがきっかけでマイアミでレコーディングを開始し、スティーブン・スティルスとニール・ヤングが劇的な再会を果たした、ということで話題となりました。
1976年スティルス&ヤングバンド名義で『太陽への旅路』を発表。

クロスビーとナッシュも参加し、事実上CSN&Y再編成となったのですが、契約レコード会社の関係で、クロスビー&ナッシュのコーラスのトラックは消去されることになりました。
ツアーも行なわれましたが、ヤングが途中でキャンセルし、意見の違いもあり、結局このアルバムのみを残して解散することになったのです。
1976年には、ニール・ヤングがクレイジーホースを伴って初来日しています。
ここで、個人的なことを書かせてもらうと、クロスビー&ナッシュの初来日のとき、私はまだ高校生でしたが、この時、初めて自分でチケットを買い、自分一人で行ったのが彼らのコンサートだったのです。
私の高校時代と言えば、やはりCSNYで、そのうちクロスビーとナッシュが日本にやってくるということで、ワクワクしながらコンサートに行ったことを今でもはっきりと覚えています。
アルバム「ウインド・オン・ザ・ウォーター」発表後でしたが、この時は捕鯨反対のキャンペーンも兼ねての来日で、アルバムタイトル曲の「ウインド・オン・ザ・ウォーター」もクジラを殺すなんて可哀そうだ、という内容の歌でした。
この頃はまだ日本の捕鯨が今ほどは国際的に非難されている時ではありませんでしたが、はっきり政治的なメッセージを伴っての来日に、少し戸惑ったファンも多かったようです。
彼らのメッセージがどれくらい当時の日本の人たちに伝わったかはさておいて、コンサートは、初日の東京公演はかなりひどい演奏で、まったくやる気のない演奏に批判の声も出ていたようです。
私が行った日本最終公演も、冒頭はもう一つ調子が出ない感じで、会場からブーイングの声も出ていました。
元々、ベース、ドラムは伴わず、リビングルーム・コンサートにしたかった、とのことでしたが、それでも、ボツボツ行こか、という感じでやる気のなさが感じられ、私も少しガッカリしたものです。
ただ、彼らも、これではいかん、とでも思ったのでしょうか、休憩を挟んでの第2部ではようやく気合が入りだしたようでした。
第1部はフィドルのデイブ・リンドレー、キーボードのクレイグ・ダージとともにユニットでの演奏でしたが、第2部になると、まずグラハム・ナッシュがソロで登場し、ギター、ハーモニカの弾き語りで数曲やった後、ピアノに前に座り「僕たちの家」を演奏し始めました。
すると、後ろからクロスビーが現れ、途中からナッシュの肩に手をおいてデュオを始める、という小粋な演出でした。
続いてクロスビーの演奏になり、ソロで未発表の曲も含めて演奏したのですが、なかなか重厚な演奏となっていました。
この後、フィドルのデイブ・リンドレーがソロで演奏し、これも喝采を浴びていました。
ここからクレイグ・ダージも入ってまたユニットの演奏になり、ようやく充実した演奏で観客も満足した様子でした。
演奏後、アンコールで「ティーチ・ユア・チルドレン」を演奏し、再度アンコールにも応じて「シカゴ」を演奏してコンサートは終了しました。
キャンペーンも兼ねての来日で、演奏自体はあまり重視していなかったものの、やはりプロのミュージシャンとしての心がけも忘れなかった、という感じの来日公演でしたでしょうか・・・・。
1976年のニール・ヤングの来日コンサートも行きましたが、これは、前半のアコースティック演奏、後半のクレイジーホースとのロック演奏、ともに無難にまとまっていた、という感じでした。
クロスビー&ナッシュ、ニール・ヤングと相次いで来日したので、スティーブン・スティルスの来日も時間の問題だろうと思っていました。
スティルス&ヤングのアルバム「太陽への旅路」のライナー・ノートでも、スティーブン・スティルスのインタビューで「一日でも早く日本に行きたいと思っているんだ」という言葉があったのですが、結局スティーブン・スティルスの単独来日公演は実現しないままでした。
これは、単にスケジュールの都合がつかなかったのか、スティーブン・スティルス独自の気まぐれだったのか、それはよくわかりません。