クロスビー、スティルス&ナッシュとして、断続的に活動を

グラハム・ナッシュが「すべての問題は解決した」とのコメントを雑誌に発表。
クロスビー&ナッシュのコンサートにスティルスが参加したことにより、メンバーが和解して再結成されることとなりました。
1977年6月 クロスビー、スティルス&ナッシュ再結成 アルバム「CSN」発表。


実にCSNとしては8年ぶりのセカンド・アルバムとなります。

このアルバムについては、私も少しばかり興奮しながら聞き始めたのですが、冒頭の「シャドー・キャプテン」では美しいコーラスが聞かれ、またCSNが復活した、という実感が得られるのですが、この後は、スティーブン・スティルスのアコースティック・ギターは、やはり往年の冴えがなく、他の曲もややありきたり、といった感じで、個人的には少しガッカリしたのを覚えています。

この後、クロスビーのドラッグ中毒による体調悪化が深刻となりました。
これにより、またCSNは活動休止になってしまいます。

スティーヴン・スティルスは1978年に『Thoroughfare Gap』を発表。


グラハム・ナッシュは1978年8月14日にアメリカ市民となり、イギリスとアメリカの二重国籍を保持することとなりました。

1978年のCSNセッションが中止された後、グレアム・ナッシュは1980年に当初クロスビー&ナッシュのプロジェクトとして構想されていた『Earth & Sky』をソロアルバムとして発表しました。



1980年、ともにハワイで休暇を過ごしていたスティルスとナッシュは、二人でアルバムを作ることを決め、スタジオ入りし、アートガーファンクル、ティモシーB.シュミット、その他を雇って、デビッド・クロスビーの代わりに歌ってもらうことにしました。
しかし、アトランティック・レコードは、CSNでないと商業的価値がないということで、クロスビーの参加を求めました。
そこでクロスビーはアルバムに2つの曲で参加することになりました。

1982年、アルバム『デイライトアゲイン』発表。


アルバムは全米8位のヒットとなり、ツアーも行われましたが、クロスビーはライブ演奏中も時折薬物によって酩酊しているような有様だったようです。

この後、ナッシュとスティルス2人で活動することもあり、2人がデュオで演奏している1983年の結構貴重な映像もあります。

 
グラハム・ナッシュは1983年に20周年を記念してホリーズに一時的に復帰し「What Goes Around」「Reunion」の2枚のアルバムを録音しました。

スティーブン・スティルスは1984年にメジャーレーベルでは最後のソロアルバムとなる「Right by You」をリリースしましたが、商業的にはあまり成功しなかったようです。


1985年、クロスビーは銃器法違反で実刑判決を受け、刑務所生活の後、薬物中毒の治療を果たし社会復帰しました。


1986年には、グラハム・ナッシュは4番目のソロスタジオアルバムとなる「Innocent Eyes」を発表。




1988年、クロスビーの社会復帰の祝福も含め、ニール・ヤングも加わって18年ぶりにCSN&Yが再結成され、アルバム『アメリカン・ドリーム』発表。


全米16位を記録。
ただ、アルバムはこれまでのCSN&Yのアルバムと比べて決して好評とは言えなかったようです。



1989年、スティルスとヤングは自身のバンドとのツアーを開始し、クロスビーとナッシュは新しいクロスビー&ナッシュのレコード製作に取り組み始めました。


クロスビーはまた、その同じ年に彼の2枚目のソロアルバム「Oh Yes I Can」を発表しました。



スティルスは1989年後半のベルリンの壁の崩壊を祝って演奏するためにクロスビー、ナッシュと再会し、ブランデンブルグ門で演奏しました。
新しいクロスビー&ナッシュのアルバムのセッションは、新しいクロスビー、スティルス&ナッシュに進化し、1990年、CSNとして4枚目のアルバム「リブ・イット・アップ」が発表されました。


ただし、名目上のリーダーだったナッシュは、リーダーシップの立場に不快感を抱くだけでなく、「1つのマイクで一緒に歌ったのは1度だけだった。その意味で、それは本当に真のCSNレコードではなかった」と述べ、セッションに不安も残しました。

CSNは1990年代初頭に大規模なツアーを行い、1990年から1992年にかけて200以上のショーを行いましたが、1993年に一休みすることとなりました。

この間、スティルスは1991年にソロアルバム「スティルスアローン」をリリース。

このアルバムはタイトル通り殆どスティルスのソロによる曲で構成され、少しばかり原点に戻ろうという意向も感じられるようです。

1993年にはクロスビーが「」サウザンドロード」をリリース。

クロスビーも、ドラッグから回復してからまた心機一転、という姿勢が感じられるのですが、やはり、以前のようなクロスビー独特の幻想的な世界は失われたようです。(またドラッグをやればよい、という意味ではありませんよ!)


また1991年にCSNのベストアルバム「ボックスセット」が出されています。




これ以外、1991年、1995年の2回、CSNとして来日公演を行っています。


クロスビー、スティルス&ナッシュのデビューアルバムのリリース25周年が近づいていたため、グループは1994年にアルバム「アフター・ザ・ストーム」を発表しました。



グループはウッドストック'94アニバーサリーフェスティバル、およびテレビ出演も行いましたが、アトランティックは宣伝活動をほとんど行わなかったため、アルバムの売上は低かったようです。



デビッド・クロスビーは、ドラッグの後遺症により、1995年肝移植手術。
手術をきっかけに、クロスビーが1960年代に養子に出した実の息子、レイモンドと再会。
レイモンドは以前、実の母親と面会した際、実の父親がクロスビーであることを知らされており、手術のニュースをきっかけに会うことを決心したそうです。

その後、レイモンドも音楽をやっていたことから、クロスビーはジェイムス・レイモンド(キーボード)、ジェフ・ピーヴァー(ギター)とのユニット「Crosby, Pevar & Raymond(CPR)」を結成しました。
モントレー・ジャズ・フェスティバルへの出演等も含め精力的にツアーをこなしました。


CSNは1997年にアトランティックとの契約を終了し、レコード契約なしで自分たちでCSNトラックを録音し始めました。
ニールヤングはこれらのCSNセッションに興味をそそられ、進行中のいくつかのトラックで演奏し、1999年、新しいCSNYアルバムの「ルッキング・フォーワード」がリプリーズ・レコードから発表されました。


これがCSN&Yとしては今のところ最後のアルバムとなっています。

1997年、CS&Nとバッファロー・スプリングフィールドが同時にロックの殿堂入りを果たし、スティルスは一度に2回殿堂入りした最初の人物となりました。
これを記念し、フェンダーは、ネックプレートに記念文を彫り込んだテレキャスターを製作し、スティルスに贈りました。

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